国宝・仁科神明宮

- 仁科の森に鎮座する日本最古の神明造 -

国宝
仁科神明宮

仁科の森に鎮座する
日本最古の神明造

指定文化財

日本最古の神明造(国宝)

神明造の建築物としては、わが国で唯一の国宝である。

本殿は、桁行3間、 梁間 はりま 2間、神明造、 桧皮葺 ひわだぶき 。中門( 御門屋 みかどや )は四脚門、切妻造、桧皮葺。 釣屋 つりや がこれらを連結している。ともに寛永13年(1636)の造営で、江戸時代初期の端整な建築である。神明造の建築物としては、わが国で唯一の国宝である。 創祀 そうし については不明だが、平安時代に遡ると考えられている。

御正体 みしょうたい (重要文化財)

銅製の円板に別鋳の仏像をとりつけ、あるいは手彫りするか打出した 懸仏 かけぼとけ が16面あるうち、5面が指定、あとは附属指定。仏体は伊勢内宮の天照大神の 本地仏 ほんじぶつ である大日如来がほとんどである。年代の明らかなもので一番古いものは、裏面に朱の漆で「弘安元年(鎌倉時代中頃の1278)卯月廿一日、大施主平氏女」と記されている。その他には「弘安九年(1286)十二月廿二日、妙法尼」の墨書銘(ぼくしょめい)のあるものや「志んめい」「志んめいの御しやうたい」と記されたものがある。紀年銘のないものが多いが、作風から鎌倉から室町時代にかけて造られたものと考えられる。

木造棟札 もくぞうむなふだ (重要文化財)

仁科神明宮にある20年に一度の式年遷宮の際の棟札。一番古い南北朝時代の永和2年(1376)の棟札を始め、620年間33枚が残される。このうち江戸時代末安政3年(1856)までの27枚が指定されている。棟札の銘には造営の奉仕者をはじめ、奉公人、大小工、桧皮葺などの工人、また伐木から遷宮に至までの日時、経費などが記載されている。造営者は仁科氏の代々の領主、仁科氏滅亡後はその時の松本藩主。奉公人は仁科氏はじめ各氏の家臣。工人には金原氏の系統その他が記される。この記載から仁科氏の系統、その家臣、工人の系統などを読みとることができる。

仁科神明宮の 社叢 しゃそう

   (長野県指定天然記念物)

指定区域の面積19,258平方m。スギ・ヒノキが主で、他にアカマツ・クリ・コナラ・ツガ・モミなどがあり、いずれも巨木・大木である。境内に入ってすぐ左の三本杉は、中1本を欠損しているが、目通り周囲5.70m・5.45m、樹高50mをこえ美しい。これを加えて境内には、幹囲2mをこえる巨木がスギ20数本、ヒノキが10数本生育する。巨木の茂る下木としてアブラチャン・カラコギカエデ・コシアブラ・サンショウ・ミツバツツジ・タラノキ・ナナカマド・ムラサキシキブなどが見られ、林床にはコブナグサ・タガネソウ・ミズヒキ・ミズギボウシ・ヤブタバコなどの草木が生えている。

古式作始めの神事

   (長野県無形民族文化財 1990年指定)

平安時代末頃伊勢神宮の 御厨 みくりや が設定され、仁科六十六郷の惣社といわれてきた仁科神明宮で、伊勢神宮の祈年祭(としごいのまつり)にならって行われる神事で、3月15日に奉納される。「作始め神事」と称し、鍬初めから苗代づくり・種播き・鳥追いまでの稲作りの模倣が、神楽殿内を1坪の広さに仕切った中で行われる。氏子区域の北木戸・中木戸・南木戸から青年男子が神楽員となり、白上衣に紺縞の袴、白足袋の装束で 田人 たうど の役をつとめる。

太々神楽 だいだいかぐら

   (長野県無形文化財 1969年指定)

仁科氏時代から伝承されてきたといわれ剣の舞、岩戸神楽、五行の舞、水継、幣の舞、龍神神楽、道祖神の七座(明治以前はこのほかに”大蛇の舞”があった)で、いずれも神話に基づきて作られた神楽である。面、装束をつけて古式ゆかしい笛や太鼓の音に合わせて舞うものと、謡曲によって能楽を演じるものとがある。古風で簡素な中にも神厳優雅な気品を備えており、全国的にも類例のないものとされている。